白菜鍋

その,昨日の夕食。

id:taoizmは鍋に白菜を入れない」という風評被害に苦しめられた時期もありましたが,僕だってちゃんと白菜を使うのですよ。だって,白菜,好きだし。
何が嫌なのかというと,鍋の中身が制御できなくなってしまうことなのだ。端的に言えば,適当にすくい上げたときにまだ青臭い芯の部分が混ざってしまうのが許せない。或いはその逆の事例,不注意に煮えすぎたものも悲しくなってしまう。
そんなの避けろよって言われたらおしまいなのだけれど,あのザクッとすくったのをドカッと盛ってハフハフ喰らうのが何よりの楽しみなのだから,あくまでそこを無造作に楽しむために,他のところで工夫するしかないのだ。
そもそもどうしてこんなことが起こるのかというと,まずは芯が煮えないこと。これは幼稚園児でも分かる。そしてこれ以上に問題なのだが,煮えた白菜は存在感が薄いということだ。あんなに美味いのに,何だかスープと同化してしまって,気がついたらドロドロになってしまうのだ。ああ,可哀相な白菜。
これらの問題を避けるための解決法は,とても簡単だ。白菜に気を遣ってあげることだ。つまり,白菜が主役だと考えてあげる。肉でもきのこでも豆腐でもなく,いつも背景に溶け込んでいる白菜こそが鍋という宇宙を占めるダーク・マターであり,サイレント・マジョリティであり,彼らの声なき声に耳を傾けることで,鍋は一段の高みへと昇華されるのだ。
具体的には,以下の二点に集約される。

  1. 芯と葉は全く別の野菜として扱う
  2. (非加熱での)追加投入は葉のみ

まず,芯と葉を徹底的に分ける。このとき陥りやすい失敗が,単純に水平面でザク切りしてしまうこと。こう切ると,大部分が葉なのだけれど,片隅にしっかり芯が残ったようなものが生まれてしまう。

左の白菜でいう,点線に囲まれた領域だ。こういう切れ端が,葉はくたくたなのに芯はしゃっきりという炊けたんだか炊けてないんだかよく分からない状態になってしまうのだ。だから,まず右のように切って,それから個別に切ればよろし。葉はざく切りに,芯は斜めに包丁を入れても良いし,5mm幅くらいの千切りにするのでも良い。今回は後者で切った。
そして,芯は最初に炊いてしまう。少し濃いめのだしを鍋に作っておいて,ありったけの芯を全力で投入するのだ。この状態で上から下まで埋まるくらいでちょうどよろしい。んで,十分に炊けたら半分くらいはだしと一緒に小鍋に取っておく。こうすることで,途中であれこれ具材を追加投入したときの微妙な空気も最小限に抑えられるのだ。それまで夢中で食べてたもんだから,あの瞬間って妙に会話が生まれないのよね。何なんだろう,あの感じ。
ああ,ビールのおかげで筆が進むなあ。少し休もう。