日本学術振興会特別研究員の研究遂行経費についての覚え書き

日本学術振興会から研究遂行経費についての通知を受け取り,6万円弱を源泉徴収税額として送金しろとのこと。何度か電話でやりとりをして,こちらでも調べた結果,どうやらそのとおりにするしかないようだ。

どういう経緯かというと。

  • 特別研究員の研究奨励金は,そのうち3割を研究遂行経費として源泉徴収の対象外に指定することができる。DC1/2の場合は年額240万円が支給されるので,240×0.3=72万円を差し引いた金額が源泉徴収の対象になる。
  • 年度末に研究遂行経費の支払報告書を提出して,それが3割に満たなかった場合は追徴課税を受け,その金額は翌年度6月分の研究奨励金から差し引かれる。
  • 確定申告で必要経費を計上する手間を省くために,自分は初年度からずっとこの制度を利用していた。最終年度にかかる金額も,追徴課税で解決するのだろうと予想していた。

ところが実際は。

  • 最終年度に発生した,非課税対象の72万円と実際に研究遂行経費として計上した金額との差分は,賞与として給付されたことになる。たとえば実際に研究遂行経費として計上したのが12万円なら,60万円の賞与が給付されたことになる。
  • 何故ならば,日本学術振興会による特別研究員としての採用は終了しており,追徴課税が差し引かれるべき研究奨励金が給付されていないから。特別研究員(PD)として雇用関係が継続している場合は,前年度までと同様に6月分の研究奨励金から差し引かれるのだろう(あくまで推測)。
  • 退職者扱いになるので,前月の給付金額を基準として賞与に対する源泉徴収税率を算出した場合,乙類の税率が適用されて10.210%が源泉徴収される

というわけ。もちろんそのような手続が踏まれることは,「遵守事項および諸手続の手引」のどこにも記載されていない。新規に発行される源泉徴収票を平成25年分の確定申告時に提出すれば還付されるはずなのだけれど,いきなり6万円弱を送金しろというのは無茶振りだろう。しかも書類の日付が6月1日,期限が6月28日になっているものを昨日届けてくるとは。とにかく,同じ状況に陥った人のために書き残しておこう。

どうせ退職者扱いになるのなら,差分も退職金扱いにしてくれればいいのに。そうすれば退職所得控除が適用されて丸ごと非課税になったのに!

タイムカプセルが出てきた気分

大学の研究室に忍び込んでパソコンのデータをゴッソリ抜き出してきたんだが,その中から薬学部進学時に提出したらしいレポートが出てきた。2006年2月だから学部2年の終わり,7年前か。あちこちでうまいこと言おうと頑張ってる感が痛々しくて良いですね。

ロラン・バルトは音楽家に関して述べた文中で、アマチュアを「技術的不完全さよりもスタイルによって定義される役割」だと位置付けているが、ここから敷衍されうるのは「プロとは『スタイルよりも技術的完全さによって定義される役割』である」というテーゼであろう。そしてこのプロフェッショナルという一つの生き方こそが、私が薬学部という環境に身を置く上で最も求めるものだ。では、何故薬学なのか。それは私が求めるプロフェッショナルのイメージが、薬学の一学問分野としての領域展開の状況と一致しているからだ。

(中略)

私が薬学という学問領域に感じている魅力は、誤解を恐れずに言えば錬金術に対するそれと似たような性格のものだろう。古代ギリシャ時代に生まれた万物の有り様を説明しようとする理論を嚆矢として、宗教学から合成化学まで幅広い分野の学問を全て「金(或いは賢者の石、つまり完全性)を生み出す」という目的のために行使する錬金術のスタイルは、現在において有機化学や生化学、統計学や経済学などを動員して「薬」というアイテムの発展に努める薬学の様態と相通ずるものがないだろうか。

スピノザが毒に関して言明した主張を踏まえるならば、薬とは「常に変様を見せている身体の構成関係との合一によって、私たちの力能を回復・増大させる要素」だと言えるだろう。錬金術が最終的に真の自然科学の誕生に結びついたように、薬学分野の著しい発展は薬(創薬・製薬・育薬・・・)を中核とした「薬学」という知的ムーブメントそのものが社会全体に対する「薬」として作用し、21世紀これからの社会を新たな次元へと導いていくに違いない。

(中略)

自らの専門分野に依拠した技術的完全さによってプロフェッショナリズムを担保しつつ、それに付随するスタイルによって活躍の場を広げていく。薬学はその学問的性格上、こうした人材を数多く輩出し得る領域だと私は考えている。そのような環境に身を置くことで、私自身も「薬」を何らかの形でバックグラウンドとした技術的完全さを獲得しつつ、確固たるスタイルを築くことで、薬学という学問領域同様多岐に渡る可能性を開花させられるような人間を指向していきたい。

この頃はまだコンママル派じゃなくてテンマル派だったらしい。最後にコッソリ「多岐に渡る可能性」とか言って器用貧乏宣言してるのを俺は見逃さないぞ。安心しろ,7年たっても器用貧乏だから。

俺のダジャレタイトルフォルダが火を噴くぜ!

博士最終セミナーなるものを先日無事に終えたんだけど,その準備段階で色々と振り返ってるときに,ある論文のことを思い出した。今のラボに所属したばかりの頃,どんな業績が出てるのか調べてて見つかったうちの一本がこれだったんだ。

To BDNF or not to BDNF: that is the epileptic hippocampus.

その後自分が師事することになる先生が,博士課程のときに彼の師匠と書いたレビュー。歯状回に発現してるBDNFが側頭葉てんかん発症に寄与する可能性について書かれてたんだけど,内容とは別に,これいいじゃんと思ったのがタイトル。一見して分かるとおり,ハムレットの "To be, or not to be" をパロったタイトルになってるんだ。一次情報としての科学文献といえば堅苦しいものばかりだって先入観があった自分には,これはかなり新鮮だった。というわけで,それ以降にダジャレやパロディになってるタイトルと出会うたび,ちまちまと保存してきたものをいくつか紹介するよ!先に断っておくと,自分の観測範囲が限定されてるので,取り上げるものは神経科学分野に大きく偏っております。

まずは同じく "To be, or not to be" をネタにしたもの。自分が見てきた範囲で,元ネタとして一番膾炙してる。その中でも一番気に入ってるのがこれ。

2B or not 2B: a tail of two NMDA receptor subunits.

NMDA受容体のサブユニットであるNR2Bの有無が,NMDA受容体依存的な神経毒性に影響するっていう論文に対するコメント。まさしく "2B or not 2B" な仕事なので,何かうまいこと言いたいならこれしかないってタイトルだと思う。これを見ちゃったら,数多ある "To be" ネタはどうしても霞んじゃう。

Neuroscience: To go or not to go.

To bet, or not to bet: that is the question of SEF spikes.

To touch or not to touch: posterior parietal cortex and voluntary behavior.

To cross or not to cross: alternatively spliced forms of the Robo3 receptor regulate discrete steps in axonal midline crossing.

まだまだあるんだけど,とりあえずこのくらい。どうせパロディにするなら,せめて音を似せてよねって思う。

映画

Preview. Angelman syndrome: finding the lost arc.

インディ・ジョーンズシリーズ第1作 Raiders of the Lost Ark をネタにしたと思われる。Arcってのは樹状突起のスパインに局在して可塑性に関与するタンパク質で,アンジェルマン症候群の原因遺伝子であるUbe3A(E3ユビキチンリガーゼの一種)がこのArc分解をとおしてシナプス成熟に関与することを発見した論文に対するコメント。

Emotional regulation, or: how I learned to stop worrying and love the nucleus accumbens.

キューブリックの『博士の異常な愛情 Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb のパロディ。ヒトのfMRIで,ネガティブな感情の反応にはvlPFCから腹側扁桃体への投射が,ポジティブな感情の反応にはvlPFCからNAcへの投射が関与することを発見した論文に対するコメント。論文の内容を反映したタイトルにはなってるんだけど,これだけ目立っちゃうのもどうなんでしょうなあ。

Neuroscience: Gone with the wean.

風と共に去りぬ Gone with the Wind のパロディ。ヒトの剖検脳で,SVZやRMSを移動してる未成熟な神経細胞が個体の発達に伴って急激に減少することを報告した論文に対するコメント。面白いことに彼女ら(=未成熟な神経細胞)はげっ歯類みたいに嗅球へ移動するだけじゃなく,むしろ多数はPFCへ移動するのだ!Alvarez-Buyllaが神経科学大会に来たのって2012年だっけ?そのときもこの話題が出たような。パロディタイトルの方は,移動する細胞がそのつらなりから離れていく過程をネタにしてると思われる。

音楽

The signs of silence.

Simon & Garfunkel The Sounds of Silence のパロディ。マカクの聴覚皮質からECoG記録して,感覚入力がある状態で観察されるトノトピーと,感覚入力がない状態で観察される自発活動を比較した論文に対するコメント。

Ome sweet ome: what can the genome tell us about the connectome?

これは少し迷ったんだけど,Motley Crue の Home Sweet Home だと思うんだよなあ。最近はやりのコネクトームについて,果たしてそこから得られるものはあるのかどうか,先行する「オミクス」計画であるヒトゲノムプロジェクトの実例に触れつつ考察したレビュー。

Imagine All the People: How the Brain Creates and Uses Personality Models to Predict Behavior.

Imagine の冒頭ですな。タイトルに反応しただけで中身は見てませんごめんなさい。

その他

Neuroscience: wrestling with SUMO.

Making COPII coats.

この辺ははっきりした元ネタがない,ただのダジャレ。上はSUMOタンパク質,下はERから出芽する小胞を被覆するタンパク質のCOPIIをもじってる。SUMO化なんてネタにしてくださいと言わんばかりのネーミングですよね。自分に身近なところだと,受容体チロシンキナーゼのTrk(trackと同じ発音)はよくネタにされるかなあ。

まとめ

まだまだたくさんあるとは思うんだけど,いかんせんダジャレタイトルに特化したアンテナを張るのも簡単じゃなさそうなので,これからも偶然の出会いに任せて探すしかないのかなあ。というわけでこの報告を僕の博士研究発表に代えたいと思います。

何だよ「日々」って

何がビックリしたって,このブログを一年半も放置していたことだ。

何が自分をブログから遠ざけていたかということを考えてみると,そこに過去の自分がごろんと転がっていて,何かを書き足すことでそれと繋がってしまうような,その感覚がどうにもダメだ。はてなに移行してから,覚えているだけでも二回ログを消している。ただ数年間にわたって文章を書いてきたというだけのことが,ひとつのドメインに収まって,素朴な自我同一性として今ここに立ち現われてくるのが,受け入れられない。それは文章,文体にしてもそうだし,システム的な側面に対する感覚,たとえば記事の分類にしても,もう始めた頃とも,リセットしてまた始めた頃とも違っているわけで,変遷しつつあるすべてのものを数年分引き受けながら新しいことを同じ場所に書き足していけるほど,自分は四次元的に強くない。

本業に関係すること以外の日本語が書けなくなっていることにもビックリした。これなら二十歳の頃の方がまだマシだった。

007 スカイフォール

毎年恒例,元日映画。

冒頭のアクション(でも結局ボンドはトルコに何しにいったんだろ?)もさることながら,上海のシークエンスは超カッコよかった。近日公開されるクラウド・アトラスも象徴的だけど,もうカッティングエッジな極東の都市としてイコンになれるような場所は日本にはなくて,それは上海だったりソウルだったりするんだな,と少し寂しくなった。まあ,サイバーパンク的な文脈でいつまでもチバやサイタマに拘泥するわけにもいかないし,日本人としては舞台装置に素直に没入できるようになるわけで(エキゾチズムの押しつけ合いみたいになっちゃうけど),それはそれで良いことなんじゃないかとも思う。ちなみに,ロケ地として日本が世界に誇る(?)有名廃墟である軍艦島も少しだけ出てきた。

それはそうと,年末の文庫・新書フェアで買ったきり放置してた『キャンセルされた街の案内』にさっき手を出した。特別な理由があったわけじゃなくて,積ん読タワーの最上階だったからっていうだけで。全10作の短篇集だったんだけど,なんと第1作が007を見に行く話,さらに第10作が軍艦島を案内する話で,ちょっとこんな偶然ないんじゃないかとビックリした。

後付けでかろうじて連想ゲームをするならば,軍艦島は長崎で,吉田修一は長崎出身だから,彼の小説に軍艦島が登場したとして,それ自体はそんなにビックリすることではないかもしれない。でも007を見に行く話って!そんなん滅多にないやろ!もし俺が突然に辞書の編纂を依頼されて,シンクロニシティの項目を担当することになったなら,迷わずこのエピソードを掲載する。

東京ディズニーランドは東京にはない

春日通りから竜岡門に入る交差点で,自転車に乗ったフランス語を話される方々に道を尋ねられたのですが。

フ「スミマセーン,ネヅビジュツカンハドッチデスカー?」
俺(む,ここから根津はちょっと行きづらいぞな…)
俺「ここからこう行って,こう行けばいいですよー」
フ「アリガトウゴザイマース」
俺「どういたしましてー」

ええのう,こんな晴れた日(そろそろ雨降るけど)にみんなでサイクリングか。
…ネヅビジュツカン?
根津美術館は根津にないよ(南青山です)ー!
というわけで,自転車で立ち去ってしまった彼らを猛ダッシュで追いかけること数分間。病院の反対側でようやく捕まりました。

俺「…はぁ,はぁ,根津美術館は…根津にはありませんよ…」
フ「ビジュツカン…?オー,ネヅジンジャデース」

なんやねんと。

キック・アス

ヒューマンフロントシネマ有楽町にて。

デイブ(アーロン・ジョンソン)はスーパーヒーローに憧れるあまり,ネットで買ったダサいスーツを着込んで自警団ごっこを始める。当然弱っちいデイブはボコボコにされて病院送り。でも全身に金属が入ったのと神経が麻痺したおかげでやたら打たれ強くなってしまい,活動を続けているうちに「キック・アス」の動画がYouTubeで有名になってしまう。そんなデイブの一方で,ガチガチに鍛え上げた本物のコスチュームヒーロー親子,ビッグ・ダディ(ニコラス・ケイジ)とヒット・ガール(クロエ・グレース・モレッツ)が暗躍していた。マフィアのシマに乗り込んじゃったデイブをヒット・ガールが助けて売人たちを全滅させたことで,それをキック・アスの仕業だと勘違いしたマフィアが彼を捜し始めた…。
ハリウッドにおける一大分野であるところのスーパーヒーローもの。過去5年間くらいで映画化されたものをパッと思い出してみても,スーパーマンスパイダーマン,アイアンマンやバットマン,X-メン,ウォッチメンファンタスティック・フォー,あとハルクやヘルボーイも,とにかく枚挙にいとまがない。作品中でもそんなスーパーヒーローものへのオマージュがたびたび出てくるのだ。個人的にはヒット・ガールに助けて欲しいときのサインの出し方でワロタ。「市長に頼んででっかいち○こマークを空に映せ」って何やねん,これがホントのバットマン…って実際にそういうセリフなんですよ。それを撮影当時11歳の女の子が言ってるんですよ!
いや,もう,ヒット・ガールだけでこの映画を見る価値はあるよ。特に終盤のアクション!空中で二丁拳銃をリロードするのとか,マジで痺れたわ。親父が途中でジョン・ウー云々言ってたけど,それもあっての二丁拳銃なんですかね。見てるときは『リベリオン』思い出してたけど。あと親父から誕生日プレゼントにバタフライナイフもらったときにニコニコしながらカチャカチャしてんのも可愛かった。ちなみにヒット・ガール役のクロエちゃん,就寝時間は午後9時半で,おうちでは "ass" なんて口が裂けても言えないから "Kick-Butt" と言ってたそうです。可愛いのう。YouTubeでいくつかインタビュー見たけど,12,3歳とは思えないくらいしっかりしてらっしゃる。
一方で,不満…は言い過ぎだけど,気になるところもありまして。最後に主人公の身辺が思春期童貞の成長物語的な路線に回収されちゃうの,引っかかるんだよなあ。だってこれは正義を愛する心の持ち主にまつわる美談でも何でもなくって,憧れが高じて一線を越えちゃった危ないオタクの話なんだから。「どうしてみんなパリス・ヒルトンにはなりたがるのにスーパーヒーローになろうとする奴はいないんだ?」(デイブ談)って,そりゃそんなのマトモじゃないからですよ。だって終盤のガトリングとかバズーカとか,いや見てるこっちも超スッキリしたけど,よくよく考えると武器のレベルが二丁トンファーから一気に上がりすぎだろ。一歩間違えればアメコミ版『タクシードライバー』なんですよ。そういう意味ではヒット・ガールの役どころは『タクシードライバー』でいうジョディ・フォスターとか『レオン』でいうナタリー・ポートマンに近いのかな。強弱関係が丸っきり反対だけど。
というわけで,制作されるらしい続編では是非,その辺を存分に歪ませて,ギリギリまで行って欲しいですな。R18でも構わんよ。いやあ,それにしても大満足だわ。