池袋三往復

今日は大学に行かなかった!
何となく八時過ぎに目が覚めたので,そのまま活動開始。午前中は部屋の掃除を済ませて,ずっとピアノを弾いていた。自分の部屋はまったく日が射さないので,この時期になると寒くてどうにもならない。
昼食の買い出しに,一度目の外出。定期があるから,ちょっとした食材の調達でもすぐに池袋まで出てしまう。しめじとえのき,生クリームとビールを購入して帰宅,昼食を済ませた。
そして二度目の外出。最初はちょっとした資料や論文を入れるキャリーケースを求めて無印良品やLoftを巡ったのだけれど,良いものに出会えなかった。今のところ仕方なく使っているジュンク堂の紙袋がボロボロになってきたから,早いうちに新しいものを準備しないと…楽譜もチラシも何もかもを路上にぶちまけてしまいそうだ。
そのジュンク堂で何か買って新しいA4サイズの紙袋を調達するかと思ったのだけれど,気が変わって西武の五階でエレベーターを降り,パルコに抜ける道すがらあちこち冷やかしてきた。新年のセールでシングルのピーコートを買うのだ。
さて,今度こそジュンク堂へ…というわけにもいかず,次はビックカメラへ。iPodの買い換えキャンペーンで3,000円キャッシュバックという企画に危うく飛びつきそうになったけれど,何とか堪えた。自分のnanoはたしか二世代前で,もうかれこれ三,四年は使い続けていると思うのだけれど,一向に電池の消耗が進む気配もなく,未だバリバリの現役なのだ。ただ一点,容量がたったの4GBというところを除いては…今月中に新しいのを買っちゃおうかな。
そもそも何のためにビックカメラを訪れたのかまったく分からないのだけれど,そうだヒーターを買おう,と思い立って季節家電のフロアへ。ちょうど良さそうなものがあったのだけれど,財布の中身が微妙に足りない。カードで支払うとポイントが2%減ってしまうので,一度出て銀行に向かい,戻ってきて現金で買った。しかしまあ,9,980円の10%ポイントだから,差し引きたった199ポイントを惜しむために,引き出し手数料の105円を支払ったのか…何だかバカらしい。
思いつきで大きな荷物を抱えてしまったので,その後の予定が全部パーになってしまった。仕方なく一度帰宅して,せっかくなのでヒーターを設置してみた。一秒で暖かくなるっていうのは本当なのだね!技術の進歩は凄いなあ。これで寒い夜でも存分に鍵盤が叩けるよ。
三度目の外出はジュンク堂へ一直線。しかし夕食を準備すべき時間が迫っていたので,一階と二階だけ。早々に退散して,この日二度目の東武地下二階へ。厚切りベーコンが安かったので,鍋の残り物の大根と炊き合わせて副菜にしようと思ったのだけれど,野菜のところでカボチャが特売になっているのを発見してしまい,一瞬で気持ちがそちらに流れてしまった。結局,大根は刻まれてみそ汁の具になりましたとさ。
せっかくなので,Esolaを上から下まで覗いてきた。まあ,もう訪れることはないだろうな…何というか,つらかった。とりあえず改札脇のOMOでコートドールのチョコを何本か買って帰宅した。

映画

フィクサー [DVD]

フィクサー [DVD]

グリューワインとチョコをお供に,さっき見終わったところ。ボーン三部作や,最近だとシカゴ帰りの機内で観た『消されたヘッドライン』(原題: "State of Play")の脚本を書いたトニー・ギルロイの初監督作。
原題にもなっている,主人公のマイケル・クレイトン(ジョージ・クルーニー)は大手弁護士事務所のもみ消し屋。農薬被害を巡る大規模な集団訴訟を担当していた同僚が壊れちゃって奇行に走り,それを何とかするために動き始めるのだけれど,実はその同僚,クライアントである大企業の重大な機密を知ってしまって,良心の呵責に耐えきれなくなったのだった。一方で,その企業の社内弁護士であるカレン(ティルダ・スウィントン)もまた,ギリギリのところで頑張っているのだけれど…というお話。
この映画の良いところは,カタルシスの無さだ。最後に主人公は勝利するのだけれど,そこからエンドロールに至るタクシー車内の長回しで彼の表情を見ていると,決してそうではないのだな,ということが分かる。そもそも,この作品では企業は明確な悪としては描かれていない…少なくとも,最近観た『シリアナ』や『ブラッド・ダイヤモンド』や『ナイロビの蜂』や,その他の社会派映画ほどには。企業はあくまで舞台装置のひとつに過ぎないなのだ。だから,陰謀の構造は陳腐だし,殺し屋の描写だって適当なのだ。主題はそこにはないのだから。
では,この映画の大切なところは何かというと,エリートの焦燥と葛藤だ。しかもただのエリートではなくて,賭博癖がある上にレストランの経営に手を出して借金まみれだったり,決してセクシーではない下着姿で自分のプレゼンをああでもないこうでもないとあれこれ推敲していたり,哀愁漂う1.5流エリートだ。
このモヤモヤ感,『ボーン・アルティメイタム』のラストでもあったなあ。だからこそ,見終えた後に,車が爆破される直前の幻想的な場面−この映画で一番美しい場面−がしんしんと沁み渡ってくるのだと思う。あの場面を冒頭とあそこで二度見せるというのは,とても上手だよなあ。二度目には,全ての演出に意味があったことがスッキリと理解できる仕組みになっているのだ。
『ボーン…』もそうだし,『消されたヘッドライン』もまさにそうなのだけれど,トニー・ギルロイが脚本を書いた作品って,プロフェッショナルの職業倫理みたいなものが前面に押し出されている気がする。『消された…』は元々イギリスのTVドラマのリメイクで,あちらは「陰謀なんか存在しない,真相は陳腐で無意味だ」っていうある種のアンチテーゼが主題になっていたと思うのだけれど,同じ輪転機のラストシーンでも,ラッセル・クロウの佇まいはどちらかというと,彼自身の内面的な問題を反映するようなカットになっていた。
だからこそ,『フィクサー』も『消された…』も,マーケティングが間違っているのだ。いや,マーケティングとしては正しいのかもしれないけれど,映画の内容がちゃんと伝えられていない。謳い文句に踊らされて国家機密!企業悪!陰謀論!とワクテカしながらこれらの作品を観ると,拍子抜けしてしまうと思うのだけれど。
それにしても,ティルダ・スウィントンのピリピリした演技は凄かったな…脇汗びっしょりなのがまったく違和感無かったもんね。自分が観た作品で覚えているのは,『ザ・ビーチ』でコミュニティのリーダー的存在だったのと,『ベンジャミン・バトン』でドーバー海峡の横断に成功するおばあちゃんだったくらいか…『バニラ・スカイ』も『コンスタンティン』も思い出せないな,有名どころでもナルニアとか観てないしな。
さて,寝るか…。