実家散歩

前回から数ヶ月ぶりに,二日間だけ帰省してきた。夏の帰省は実に5年ぶりで,つまり前回はまだ10代だったことになる…ああ,おそろしい。

実家の南側は田んぼが続いていて,国道を跨いだところで四国山地にぶつかる。写真の正面に構えているのが,「向麻山(こうのやま)」という小さな裏山だ。この読み難い名前は,遠く吉野川の対岸に,鳴門市の「大麻山(おおあさやま)」を臨むことに由来するらしい。「たいま」じゃなくて「おおあさ」ね。
この「麻」は古代から近代までの徳島(阿波国)を理解するために重要なキーワードで,そもそもは大昔に「忌部(いんべ)氏」という氏族がやってきて穀や麻を植えたんだとか。その穀とは,言うまでもなく「粟=あわ=阿波」だ。ちなみに房総半島にも「あわのくに=安房国」があるけれど,これは忌部氏黒潮に乗って北上し,かの地に定住したからだと言われている。実際に「房」も「総」も穀物がたわわに実った状態を表すらしいから,これは事実なんだろう。
小学校の校歌に,こんなフレーズがあった。

むかしいんべのかみさまが えらんであさをうえられた

麻を植える,と書いて「麻植(おえ)」と読ませる。実家が位置する吉野川市は,平成の大合併以前は麻植郡と呼ばれていた。その中でも何かしらゆかりの深い地域がいくつかあるようで,実家周辺もそのひとつらしい。何しろ実家の大字は「麻植塚(おえづか)」で,字は「堂の元(どうのもと)」。塚があるとか堂があるとか,近所の神社はこれまた忌部氏に関係があるとか,そもそも向麻山のふもとだし,こりゃ絶対その辺に古墳とかあるだろ!ここ掘れわんわん!…っていうのが自分の小学生時代だった。銅鐸だか勾玉だか,とにかく掘り当てて一攫千金!…って本気で考えてた。
…やっぱり気の毒な子だったんだなあ。

教科書的な夏の空。

裏山のふもと。

小学生のときは,ここも本気で掘り返すつもりだった。多分ただのお墓だろう。

山頂から徳島平野を臨む。これは写真を7枚繋ぎ合わせて作った即席パノラマだ。吉野川は左から右へ流れている。標高は100メートルもなく,山頂までは徒歩で10分程度。そこにも小さな神社があって,その名も「竜眼神社」という中学二年生が泣いて喜びそうな場所なんだけど,何故か自分の琴線には触れなかった。

ちょうどJRの列車が通りかかった。ご存知のとおり,徳島県は全国で唯一,未電化路線しかないところだ。当然これもディーゼル機関車,しかも一両ワンマン運転。帰省するたびに時刻表がスカスカになっていく。

ふもとにある公園。てっぺんのロケットまで,よく登ったもんだ。
もしかしたら,夏に帰省することはもう二度とないかもしれない。そう呟いたら母親が少し悲しそうな顔をしたけれど,まあ,そういうもんだろう。