私を作った3つの料理

木曜に半額の鶏ムネ挽肉を買い占めて,それと豆腐でそぼろにしたのを今朝までずーっと食べていた。豆板醤を足して味付けを変えたり,卵かけご飯にしてみたり。朝も夜も平日も休日も同じものを食べながら,最近何となく考えていたことをまとめてみようと思った。
自分がいかにして料理をするようになったか,ということだ。
幼い頃から振り返ってみると,自分を大きく変えた料理…というと大げさだけど,今でもしっかりと思い出せる食事にいくつか心当たりがあった。統計解析がバックグラウンドであくせく働いてくれている合間に,書き留めておこう。

ほうれん草とベーコンのバター醤油炒め

これは記憶にある限りで自分が作った最初の料理であり,そしてまた実際に自分が作った最初の料理でもあるはずだ。これはたしか7歳だか8歳のとき,きっと小学2年のときだと思う。きっかけはおそらく調理実習で,まあ実習とは言っても所詮は低学年だから,切りましょう,炒めましょう程度のもので,このメニューを作ったのだと思う。
これが,美味しかったのだ。いや,美味しかったという以上に衝撃だったのは,それを自分が作り出したということだった。毎日食べている料理というものを,自分も作り出せる。その気付きが,衝撃だったのだ。食べることは大好きだったから,毎日の食卓はとても楽しみだったのだけれど,そこに運ばれてくる料理を自分が作るという発想は何故だか無かったのよね。だから,すげーと思った。だって,自分で作って,自分で食べて,それが美味しいって,幸福なのにも程があるでしょ。
結局その夜は仕事から帰宅した母親に頼み込み,わざわざ具材を買って来させて,もう一度同じものを作った。そしたらやっぱり美味しかった。すげーと思った。鍋なんか重くて振れないし,手早さも何もあったもんじゃないから,きっとべちゃべちゃした仕上がりだったと思うんだけどさ。でもよく考えたらこのメニューってそういう出来でも美味しいから,やっぱり子どもの実習向きだったんだろう。
ともあれ,この一品がきっかけで料理熱に火がついた自分は,母親にお願いして子ども向きの料理教室に入らせてもらった。最初は母親も躊躇してたんだけど,自分があまりにも熱中してるもんだから,最後は根負けしたようだった。きっと母親の心配は,女の子ばかりいるところに放り込んで大丈夫かしら的なものだったはずで,たしか初回の教室に向かう車内でも,似たようなことをつぶやいてた気がする。当の本人は「料理は女性がするもの」なんて固定観念はまったく無かったし,そもそも女の子に囲まれてしれしれとピアノなんかやってる時点で,男が,とか女が,とか,そういう発想とは縁遠かったはずだ。まあ,田舎だからね。そういうの,あるのよね。そういうのがあるってことも知ってた。みんな言ってくるからね。実感は無かったけどね。
そして,残念なことに,母親の心配は的中した。定員30名で,女子29人,男子1人。終始いじめられた。ちょっと切り口が曲がってるとか,そういう些細な理由でひたすらいじめられた。あまり具体的なメニューは覚えてないんだけど,ある回のフルーツポンチとか泥みたいな味がしたわ。ホントに泥が入ってたのかな。まあ,どうでもいいか。
というわけで,この頃の一連の出来事で自分が学んだのは,「自分が美味しいものを作れる」(≠自分が作ったものは美味しい)ということ,そして「楽しんで作ったものは美味しい」ということだ。換言するなら,楽しまずに作ったものは美味しくない。というかこちらが,自分が学んだことそのものだ。遠足が準備の段階からスタートしているように,食事も調理の段階からスタートしているのだ。もちろん,家に帰るまでが遠足であるように,皿を洗うまでが食事…なんだけど,当時の自分は往々にして作りっぱなしだったな。お母さん,ごめんなさい。

チャーハン

料理の楽しさを覚えたら誰もが通る道,チャーハン。しかし自分の場合は,どちらかというと義務感で作るものだった。
うちは4人兄弟で両親が共働きなもんだから,長期休みともなるともう大変で,お昼の餌付けすらままならない。基本的には祖母があれこれ準備してくれるんだけど,用事で外出してたり,体調が悪かったりすると,自分たちで何とかしなきゃいけないのだ。とは言っても弟たちなんて基本的に戦力外で,パシリくらいしかできないから,結局自分がどうにかするわけ。
そこで手っ取り早いのがチャーハンで,永谷園とかその辺のチャーハンの素と,あとは卵とご飯さえあれば作れちゃう。手首のスナップも鍛えられて,これバスケとピアノに活かせるんじゃないか,的なよく分からない自己満足もあった。でもさすがに,毎日同じような化学調味料ばかり食べてると,飽きが来るのよね。インスタント麺とかに逃げてみても(その頃の我が家における「ごんぶと」や「Spa王」の消費量は半端じゃなかった),やっぱり飽きが来る。よーしと思って素を使わずにあれこれ具材を切り揃えて塩コショウやら醤油やらで味付けしても,薄っぺらい味でつまらない。
そんなある日,たしか中学1年のときだ。いつものようにチャーハンを作ろうとして,キッチンに残り物の豚の角煮が放置されてるのに気がついた。そうだ,これを入れようと思った。それだけじゃなくて,今思い返してもよくやったと感心するのは,その煮汁を味付けに使って,さらに表面で凝固したラードで具材を炒めてみようと思いついたのだ。あれ,この白いのって油じゃね?これで炒めたら美味いんじゃね?的な。というわけで,角煮を刻んだのとタマネギやらニンジンやらをラードで炒めておいて,あとはいつもの手順でチャーハンを作って,最後に煮汁で味付けした。
これが,美味しかったのだ。いや,美味しくて当然だ。死ぬほど美味しかった。死ぬかと思った。冗談抜きで,これってお店のチャーハンだろと思った。いつも食べてる化調まみれの薄っぺらいチャーハンとは雲泥の差だ,というか同じチャーハンなのか。ご飯を炒めたからチャーハンだよな,信じられない。弟たちにも大好評だった。そりゃそうだ,美味しかったんだから。
というわけで,このチャーハンで自分が学んだのは,「同じ名前の料理でも色々な作り方がある」ということ,そして「作り方によって美味しいものはさらに美味しくなる」ということだ。学んだというか,痛感した。そしてその違いを追求する価値は十分にあると思った。

親子丼

これは,自分と母親が料理において袂を分かつことになった料理だ。
さっきも書いたように,うちは共働きで,基本的には仕事から帰宅した母親が夕食の準備をする。ところが母親の帰宅はだいたい19時過ぎで,遅いときはもっと遅い。しかも作るのが8人分だから,とてもじゃないがたった一人で回しきれる分量ではないのだ。
一方,こちらはちょうど同じ時間帯に部活或いは高校から帰宅して,適当に買い食いしてはいるものの,その程度で育ち盛りの食欲が収まるわけもない。とは言っても,殺気に満ちた目でキッチンを凝視していても料理は出てこないし,疲れてるのは(母親も)お互い様だから,仕方なく自分もキッチンに入って二人がかりで作業することになるのだ。ある程度は分業が成立してて,自分はコンロに張り付いて,母親は包丁と仲良しだった。もちろんその逆もよくあるんだけど,8人分の具材を鍋やらフライパンやらで煮たり焼いたりするのは結構な体力が必要だし,その頃はまだ自分が包丁さばきで母親に全然敵わなかったから(特に皮剥き),自然とそういう割り当てになる。
ただ…料理の好みが違うのだ。特に許せなかったのが,親子丼だ。母親は半熟卵がかなり苦手らしく,親子丼となればいつも,ガッチガチに卵でとじたのを出してくる。あえて表現するなら,和風オープンオムレツ丼と呼べるかもしれない。もうね,それが信じられなくってね。自分にしてみれば親子丼って卵の固まり方がすべてなのに,その対極にあるようなものが出てくるのだ。しかも黄身と白身がこれでもかっていうほど混ざってて,コシも何もあったもんじゃない。
母親の名誉のために言っておくと,決して美味しくないわけじゃないのだ。ちゃんと美味しいんだけど,そこは完全に好みの問題だよね。しかもこっちは華の反抗期なわけで,そんな貴重な(?)時期に,自分の異常な食欲を一刻でも早く満たしたい,ただそれだけのために,従順にキッチンで作業するわけよ。せめて食べたいものを食べさせろと。
そこで自分がどうしたかというと,具材は大鍋で仕込んでおいて,自分の分量だけ雪平(のちに専用の丼鍋)に取っておくわけ。んで,それを自分の好みに合わせて卵でとじて,自分だけ別仕立ての親子丼を食べるのだ。まあ,美味しいよね。母親のより美味しい。すぐに弟たちが興味を示して,やっぱり自分が作った方が美味しいから,結局卵料理全般のシェアは母親から自分が奪ってしまった。オムライスなんかもそうだな。何だか母親が可哀相だったし,悲しそうな顔しててごめんなさいって思ったんだけど,美味しいものを食べたいっていう欲望には勝てなかった。だって,美味しいから…。
もう一度母親の名誉を回復しておくと,やっぱり母親の作る料理も美味しくて,しかも美味しいのに,作った本人がケチャップやらマヨネーズやらソースやらでぐちゃぐちゃにして食べてて,まあそれもやっぱり美味しくて,そういうジャンクで向こう見ずなところはうまく受け継げたなと思う。とりあえず全部ケチャップ煮込みとかカレーマヨネーズ炒めにしちゃえば美味しいんだよな。

まとめ

…時間が時間だし,おなかすいた。何か食べよう。