クリスマスにまつわるちょっとした昔話(その2)

さて,今夜は悲しくない方の話。
あれは自分が八歳のときのクリスマスだった。
当時の自分はまだ心が汚れていなかったので,純朴にサンタクロースという存在を信じていた。いや,それは間違っているか。しっかり心は汚れていた。ただ,毎年サンタクロースが両親或いは祖父母であるという確固たる証拠が掴めなかったから,「疑わしきは被告人の利益に」のルールに従って,その存在を渋々認めていただけだ。まあ,そこが純朴なのだとも言えるけれど。
だって,毎年クリスマスの朝には枕元に大きなプレゼントが置かれていたし,自分が眠りにつく直前まで,そんな大きなものは家中どこを探したって見つからなかったのだから。十歳にも満たない子どもがそんな状況に追い込まれたら,誰だって,赤い服に白いヒゲのお爺さんがやってきて贈り物を置いていくという荒唐無稽な物語にも,相応の真実性を見出してしまうだろう。それが子どもなりの,世界の合理化というものだ。
それでもめげなかった自分が1993年のクリスマスに考え出した策は,「サンタさんから直筆のメッセージをもらう」というものだった。もしサンタの正体が身内なら,何かボロを出すに違いない,そう思ったのだ。前年に英会話教室の先生を経由して「本物の」サンタからもらった手紙を大切に保存しておいたので,いざとなれば筆跡を比較すれば良い。
ここまで当時の自分の思考を掘り起こしてみて気付いたのだけれど,つまりあのときの自分が拘っていたのは,サンタが実在するかどうかではなくて,その正否はひとまず棚上げしておいて,とりあえず家族がサンタの名を騙っているかどうか,だったようだ。それはもちろん論理的には正しい話で,何故なら自分のうちにやってくるサンタが自分の家族だったからといって,サンタという存在そのものが否定されたことにはならないからだ。うーむ,頭が良いのやら,単なるアホなのやら…。
さておき,ついにクリスマスイブの夜が来た。自分は枕元にクリスマスカードと油性ペンを添えて,ベッドに潜り込んだ。もちろんタダでお願いするわけにもいかないので,苦心して折り紙で作ったトナカイを何頭か並べておいた。我慢できるところまで寝たふりをつづけて,もし可能なら本物なり偽物なり,サンタに会えるかもしれない…という甘い期待は,ほんの数十分で深い寝息に変わった。そりゃ眠るよな,八歳だもの。
…目が覚めたのは,まだ夜が明けない頃だった。おそらく寝返りを打とうとしたのだろう,枕元に何かが置かれているのに気付いたのだ。やってしまった,完全に寝過ごした…そうだ,トナカイは?
きれいに無くなっていた。そしてクリスマスカードからは,マジックインキの香りがした。暗くてよく見えないけれど,間違いなく何かが書かれている。心臓の鼓動が俄然早くなった。来たんだ。本物かどうか分からないけれど,来たんだ。
布団をはねのけて,二段ベッドから降りた。足元にひやりとした空気が流れている。数歩も行かないうちに,その冷気の正体が,単なる夜中の底冷えだけではないことが分かった。
雪だった。
床に雪が落ちていた。
いまだに状況を把握できないまま窓に歩み寄ると,ほんの少しだけ窓が開かれていた。冷気はそこから流れ込んでいたのだ。しかし,雪は降っていなかった。ますます訳が分からない。そうだ,メッセージだ。
我に返って灯りをつけ,クリスマスカードを見た。そこには何か書かれているのだけれど,まったく読めない。そもそも文字が読めないのだ。しばらく後に知ったことだけれど,それは筆記体というものらしかった。当時の自分はブロック体のアルファベットしか読み書きしたことが無かったので,当然と言えば当然だ。
とりあえず父親を叩き起こして,メッセージを見てもらった。寝ぼけた父親の返事は,良かったじゃないか,でも読めないなあ,フィンランドの言葉かなあ,調べておくよ,といった程度のものだった。がっかりした自分の興味は早々にプレゼントへと移り,包装を乱雑に破いて中身を確認してから,またベッドに潜り込んだのだった。でも,あの雪は?
メッセージの内容を知ることができたのは,その夜だった。父親が日本語に訳してきてくれたのだ。はっきりとは覚えていないのだけれど,良い子の君にプレゼントを持ってきましたとか,弟たちに優しくしなさいとか,当たり障りのない内容だったと思う。後日英会話教室の先生に読んでもらったところ,同じような答えが得られた。
間違いなく,自分はサンタさんから直筆のメッセージをもらったのだ。父親がわざわざ訳してくるくらいだから,きっと本物だ。しかも床に雪が落ちていたし,これは間違いないぞ。…うわー,アホだ。可愛らしいアホだ。
…もちろん,改めて書くまでもないことだが,メッセージを用意したのは父親だった。自分はこの計画を家族には(同士である弟たちにすら!)内密に進めていたのだけれど,きっとプレゼントを持ち込んだときにクリスマスカードを発見して,その場で適当に書いたのだろう。自分が「なにかメッセージをかいてください」と日本語で(!)書き込んであったのに対する返事として。
自分の最大の誤算,というかどうしようもなく間抜けなところは,英語を読み書きする父親というものがまったく想像できなくて,うわー英語だ,これは本物だ,と見事に早とちりしてしまったことだ。そんなはずはないのだ。だってそのわずか数週間前まで,父親はアデレードだかメルボルンだかに留学していたのだから。どう考えても,できないわけがないのだ。そして,自分が書いたものを読めないわけもないのだ。寝ぼけた父親の冴えないやりとりは演技だったのだ。
そして,決め手は雪だった。今になって思えば,きっと氷を砕くか,或いは古い冷凍庫から削り取ってきたか,そうして適当に調達したものだったのだろう。でも直筆のメッセージを手にして興奮しきった自分にとっては,あの刺すような冷たさを足の裏に感じた瞬間に,すべてが真実だと決定してしまったのだった。
そんなこんなで見事に(そしてある程度は勝手に)騙されてしまった自分は,その後数年間というもの,サンタクロースの存在について頭を抱えつづけることになるのだった。一応書いておくと,終わりは呆気ないものだった。十歳のときに,祖母が手渡しで図書カードをくれて,両親と祖父母が共謀していたことを教えてくれたのだ。そりゃ大人が四人で本気になれば子どもを騙すくらい簡単だよな。
さっき父親にメッセージについて確認してきたのだけれど,自分でも何を書いたか覚えていないということだった。というより,はぐらかされてしまって,まともな回答が得られなかったのだ。ただ得られたのは,「あの頃は素敵な日々だったねえ」という呟きだけだった。じゃあ今はどうなんだと突っ込みたくもなるけれど,本当に「素敵な日々」だったのだと思う。日々喧しい四人兄弟に囲まれて,サンタだの何だの騒いでいるアホで生意気な長男を騙しきったのだから,そりゃ楽しいだろうよ。
いつか自分が父親になる日が来るのなら,その子にはできるだけたくさんの嘘を吹き込もうと思う。もちろん最初は「サンタは実在する」からだ。「ゾンビは実在する」なんかでも面白いかもしれない。そのためなら,床に手製の雪をまき散らすくらいは厭わない大人になろう。目指すは”Big Fish”の親父だ。