クリスマスにまつわるちょっとした昔話(その1)

大学のすぐ近くで,全身ふりふりひらひらの衣装を身につけた女の子を見かけた。五歳くらいだろうか,疲れたと言って駄々をこねている。母親の手には小ぶりなケーキ箱が下がっていて,ああ,クリスマス参観日か何かだったのだな,と分かった。
それで思い出した。
自分が通っていた幼稚園は香川豊彦に所縁があるとかいう結構しっかりしたプロテスタント系で,多分に漏れずクリスマス参観日というものがあった。病弱だった自分はしばしば高熱やら何やらで幼稚園を欠席しており,三年制の一年目と二年目,つまり年少と年中のときは何をやったのかすら記憶にない。しかし三年目だけは,あの悲しい出来事は,はっきりと思い出せる。
卒園を間近に控えた年長の子どもたちは,クラスごとにキリスト生誕劇を上演するのが恒例だった。配役を決めるのは先生たちだ。おそらく選考基準は,幼稚園の出席回数と,クラスに対する貢献度。主役はイエス…ではなくヨセフとマリアで,クラスの中でも元気で明るく,中心的な存在だった男の子と女の子が選ばれていた。
その他の主立った登場人物は,大天使ガブリエルや東方三博士。それに天使群,羊飼い,宿屋の主人などが加わる。そして自分がもらった役は…アメリカ人だった。
アメリカ人」という役だった。
それは,イエス様の誕生を世界中が祝福する,という設定のもとに,おそらく男の子の人数調整を目的として作られた役だった。女の子なら,天使の頭数を増やしてしまえば対応できるからだ。唯一与えられたセリフは「Hello,おめでとうございます」という至極簡潔なものだった。一語目で自分が英語圏の人間であることを主張し,二語目で自分が出現した理由を説明する。
悲しかったのは,そんな人数調整に回されたからではない。そういう端役なら,たとえば Love Actually のキリスト生誕劇だって,タコやエビが登場する。実際に自分の周囲でも,日本人や中国人の役をもらった男の子がいた。彼らは彼らで「こんにちは(ニーハオ),おめでとうございます」というだけだった。舞台での身の振り方も自分とほぼ同じだ。
けれど,自分だけ違うところがあった。自分には衣装がなかったのだ。タコやエビみたいな端役に似つかわしくない豪華なハリボテの着ぐるみとはいかないまでも,日本人の男の子は浴衣を着ていたし,中国人の男の子もそれらしい手作りの衣装を身につけていた。ところが自分が先生から渡された説明書には,こう書かれていた。

衣装:普段着(トレーナーとジーンズなど)

自分は言われたとおりの格好で舞台に上がった。まったくの普段着で。ぼんやりとしか覚えていないけれど,たしか上は赤と緑のラグラン袖で,下は普通のデニムだったか茶色のコーデュロイだったか,とにかく普段着だった。西洋文明がアメリカを発見する約千五百年前に起こった歴史的瞬間に,自分は現代アメリカ人として立ち会ったわけだ。もっとも両親にしてみれば,余計な手間が省けて良かったのかもしれないけれど。
小道具もなかった。東方三博士が手にしていた乳香や没薬,そして黄金が喉から手が出るほど羨ましかった。日本人の男の子が握りしめていた風車すら,立派な宝物に思えた。自分が登場した場面を客観的に見れば,観客席からその辺の子どもが乱入したと捉えられてもおかしくない構図だっただろう。あのときの居心地の悪さは今でも忘れられない。
ああ,この話が書けて良かった。日記をつけ始めてから今年で五回目のクリスマスなのだけれど,毎年書こうと思っていたのに,いつも時期を逃してしまっていたのだ。タイトルを(その1)としたのは,もうひとつ書きたい話があるからだ。そちらは悲しい話ではないので,明日に取っておくことにした。だが,期待は禁物である。